
とある現場Aで、鉄骨の店舗を解体しました。
これからここに家を建てます。
ココとはまた違う現場Bでは、「うちの仔犬が中庭の砂利を食べて危ないので、砂利でなくコンクリートを敷いてください。」と言われています。
そんなBさんにA現場の解体写真を見ていただこうと思っています。
40年前のコンクリートが、次の家のために壊された時のありのままの姿を。
瓦礫と一口に申し上げても、ものすごいものです。

一軒のお店がたくさんのお客様を守るために敷いた分厚いコンクリート。
40年の役目を終えてなお、しゃんとしたコンクリートは、今 ゴミとなり、限られた面積しかない捨て場に捨てられていきます。
東北大震災のゴミは現地では行き場がなく、中部地方や関西地方に捨てられ、私たちのは山陰地方に捨てられます。
子犬が砂利を食べるからとコンクリートを打ったら、また40年後か50年後に違う持ち主がこのコンクリートを剥がし、こんな瓦礫になります。
犬が庭の小石を食べる…どう思いますかとAさんに聞いたら、血統書付きの動物を飼っているその家のご夫婦は「うちのも食べるよ。生まれたばかりの孫にやきもちを焼くといつも噛み砕かれた砂利が出てくるよ。」とおっしゃいました。「でも元気だけどね。それにこの子のそんな行動を見張っていたらキリがないじゃない? 」
それを聞いてやっぱり、今は砂利にいてきれいに収められているBさんの家にコンクリートを打つのは嫌だなぁと感じています。
断捨離していてもそうなのですが、捨てられるモノの姿を見ていると、新たなモノを買ったり作ったりするときに、やっぱり一応考えてしまう癖がつきます。
例えば古民家が、50年経って80年経って捨てられていくのを見るとき悲しくなるのはやっぱりこういう理由です。
人の命は確かに大切で、かけがえのないものなのですが、ちょっとした人間の贅沢さのために犠牲にしているものがあります。私たちが金にものを言わせて通しているエゴで地球が変わっていってしまっていると、肝に銘じています。
それでもその中で、ときには施主様の言いなりになり、ときには仕事欲しさで、工事を受注している自分がいます。
この分厚い瓦礫を見ていて本当に、ちょっと、工事について考えさせられました。地球環境の事もっと考えないといけないです。
これからたくさん仕事をしたいと願えば願うほど、私がエコを意識した提案をしないと、と、感じた現場でした。
posted by Kuhcan at 21:33|
工事写真