インポスター症候群,というのがあるそうです。最近スペインのドラマを見ていて知りました。「自分の功績を、自分の努力や実力の賜物と認めずに、『私は運がいいだけ』『必要以上に人から評価されているだけで、人を騙している気がする』と感じてしまう心の状態」
をいうのだそうです。
私、なぜこの症状が日本で話題にならないのか、考えてみました。それは、
日本が、そもそも、「運がいいだけで人から評価される」と感じるインポスター状態を「謙虚さ」と言う言葉で褒めているからではないかと思います。
海外ではまるで病気みたいですが、インポスター症候群の感じ方は、日本では普通に、「謙虚な努力家の真面目な感じ方」として、むしろ、他人からは好感を持たれる状態だと思います。
日本では、ほとんどの成功者が「自分の力は微力で、人や出来事の巡り合わせのおかげです」と公言しています。
でも外国だと、ありがたいな、と感じるならもっとスタッフに金を払えよとか、そんなにギャラを取るなよとか、なにがしかの横槍が入るのでしょうね。
本来の真理である「他人のおかげ」が表立って言えない環境がダメなんじゃないでしょうか。
だから達成しても、そこを狙うハイエナから身を守るように、一生懸命バリケードを張るので、結局は1人になって疲れてしまうのではないでしょうか。
つまり、外国は、もともと狩猟民族でもあったし攻撃的なので、他人に気を許すベーシックな流れがあまりないのだろうなと感じます。感謝なんかしててもいつ裏切られるのかわからない環境から来た症状なのだろうと思います。
それに比べて日本は、トップ企業の経営者も世界的な低賃金で有名なほどなので、成功がそこまで金銭的なものを伴わないし、おこぼれを狙う人も少ないから、光が弱い代わりに闇も薄い。(根が農耕民族だから、欲も穏やかなんだろう。)
だからインポスターと言う言葉がはやらないのだろうと思います。
また、全く別の視点でも考えてみました。
「負け犬(古い?)」とか、「マウント」とか、「インポスター」とか、昔だったら生きてく上で普通に認められてきたこと、つまり、人より秀でていることや、何かを達成することが、悪いことかのように言葉になっていきます。
「達成してない人」に配慮しすぎて、心の弱さへの同調圧力をひしひしと感じます。
これは言い換えれば、それだけ勝てないと「感じて諦めたくなる」人が多いのでしょうか。慰める言葉ばかり増えたような気がします。
私はまだまだ発展途上ですし、勝てない人や至らない世界など山ほどありますが、いつか「自分が良いと思う何かを」達成したいと言うむやみな希望を持って生きています。
それは自分から湧いてくることなので、いつまでたっても満足しないと思います。
逆に、達成したところで人から見たら大したことがないのだろうとも思います。
でも、だからのんきで面白いのです。
そういうポジティブな心理をもっと名前にしてほしいですね。ネガティブなものに名前をつけることばかり、世間が上手くなるのもどうなのかなと感じています。