小学校の頃、3年生の時から常勝軍団だったすのまた野球部。
黄金時代のメンバーを全員引き連れて入部したわりに、中学校3年経てこれかぁ…。退化やん…。
とまぁ、思うわけです。
「人はいつも勝てるわけじゃない」ので、だからこそ、勝つことにこだわって小学校時代はやってきました。
しかし、中学に入り、ほんの少しの温度差、ほんの少しの野球知識、ほんの少しの執念のなさ、ほんの少しの「俺が俺が」(親が)。
気になってはいましたが、親子入れて75人もいるので、コントロールしきれず放置していました。
今日の敗因は「信じない気持ち」。
勝ちを、夢を、実力を、仲間を、指導者を、教え子を、練習を、自分を。
勝てない要素がいっぱいあるんですね。
分析だけすれば、勝てるわけがないチームが、ボロ負けするんです。当たり前だけど、わざわざ1日かけて、嫌ほどじっくり見ることになりました。
お母さんもお父さんも子供も、みんなすごくイイんですよ。75人みんな、ポテンシャルを秘めてます。
それでも、目指すゴールを持たなかったら、もしくはみんなが少しずつ違う先を見ていたら、ただ善意で集まるだけでは、ここまでなんともならないんだと、恐ろしいほどに思い知らされました。
もちろん指導者の技術もあります。子供の能力もあります。でも、コールドなんて負け方をするのは、あまりにも無策で、毎週末の練習を全て否定されたようで、誰にとっても衝撃の試合でした。
全ての歯車が少しズレる恐ろしさが、私には腹にズシンときました。
これは、会社の経営に本当に役にたつ体験です。
野球は、社会の縮図、成功の縮図と思って真面目に取り組んできました。
指導者が悪いと小競り合いを始めた親もいますが、私は、人のせいにした時点で終わりだと思っています。惨めで見苦しい。
私が3年してきたのは、みんなを好きになり仲良くしただけ。同じものを目指そうと熱心に、嫌われてもいいから、一歩踏み込んでやれなかった自分が、悪いと思っています。
会社の指導者として、ときには苦言を呈しています。そんな自分に疲れて、野球部ではのらりくらりしていたら、子供たちの時間を犠牲にしてしまった。申し訳ない気持ちでいっぱいです。
コロナで野球は変わりました。
今までのような、潤沢な指導者や余暇を使い切る練習量、乗り合いで行く楽しい道中、心を通い合わせる合宿、上意下達の文化。そういったものがなくなった時、それでもどうやって、1つの夢を求めて信頼しあえるチームを作るのか。
技術を越えて、奇跡を起こすためのお互いへの尊敬と愛情、上を目指す執念。
それには今どきのコーチングやメンタルトレーニングが要るのでしょう。
指導者と子供の「能力」も、勝つ「考え方」も、全て大事。
しかしうちのチームにあったのは、ただ一つ
冗長なる練習時間、努力という名の「熱意」への慢心でした。
会社経営に活かしていきたいと思います。
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