2020年07月07日

家電や樹木に命はあるのか

 電気や、樹、ひいては建物が、生きていると思う時があります。
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(雨の田んぼに咲いていた、かなりノー天気な大輪の花)

「エアコンが壊れたと思ったら冷蔵庫も壊れた」
「リフォーム工事を頼もうとしたら床が抜けた」
「この木は伐ろう、と思ったら今年実がなった」

 まるで互いの声を聞いているかのような、シンクロを見せる時があるからです。

 本日うちの事務所では、天井の照明を新しく買い替え、商品が届いた15分後に、電球が切れました。

 私はスピリチュアルなものは大概疑ってかかるので、理屈を考えてみたのですが、

・買い替えたくなるほど、照明器具が故障しかけだった。私の暗さの感度センサーがよかった。

・リフォームしようと思ったら床が抜けてしまったのは、常日頃からそこを歩いていた家人の足の感度が良かったせい。

・同じ家で電化製品が一斉に壊れるのは、同じ時に新しく取り付けたわけで、寿命と言うものがそういうものである。または雷など何らかの電圧の変化が知らない間に起こっていて、家電を痛めた。

 ことが考えられると思います。つまり、物理的な影響が大きい気がします。

 しかし…私の経験によくあるのです。
「この木は切ってください」と頼まれた1ヵ月後に、勝手に死んでいく木があります。逆に、急に葉が茂り花がが咲き実をつける木があります。

 これは果たして偶然なんでしょうか。家電なんかは生きていないにしても、木ってそれなりの感性を持って生きているのではないでしょうか。

 昨日も交通事故を目撃したのですが、ほんのちょっとのタイミングで大事故になるところが、お互いの衝突にもかかわらず、人が無傷で済んだ出来事がありました。本当にいろいろなタイミングが重なって無傷で済みました。

 こういう時どうしても、自分の見えない「天の神様」っているんじゃないかと考えてしまいます。木が自分で自ら枯れていくのは、木の精霊のせいではないかと考えてしまいます。
 
 そういった人知を超えたものがあると感じるのは、太古の昔から(科学がなかった時から)の人間のDNAだと聞きました。

 本当か嘘かはどちらでもいいので、目に見える命を「命だと感じる」ことが大事なんだろうと思っています。

 今、ものを大切にとっておかなくても良い断捨離などと言う思想が出てきましたが、モノをありがたがらなくても生きていける今の時代は、多分、生物として危ないのだろうなと感じています。
 自分が、建築という自分の仕事を通して「不要なもの」を産み出してはいないか?いつも自問自答する日々です。
posted by Kuhcan at 20:25| 日記