2019年08月04日

タコの母の最期を愛で片付けたくない

  ややこしいことはわかっています。
しかし、タコのメスの最期をたこ
「母の愛である」
と片付けた記事に結構ムッとしています。

  タコは、海の生物の中で珍しくメスが子育てをするそうです。そして交尾は一生に一回で、オスは交尾をした途端死ぬようにプログラムされています。その後産卵したメスは、8ヶ月から10ヶ月の間、たくさんの卵が孵化するまで岩場に貼付き、外敵から卵を守り、時に自分の卵たちに息を吹きかけて水を新しいものに変え、産卵の時も優しく水をそよがせ卵を割る手伝いをします。
  そして子供が孵化したのを見ると、ほっとしたかのようにその場で力尽きて死んでいくのだそうです。

  その記事を書いた海洋学者は、そんな過去の姿を「まさに母の愛である」と言いました。私は、「やめてよ」と思いました。

  人間でもまさにそんなお母さんいますが、そんなお母さんには本当になりたくありません。交尾をしただけで死ぬお父さんにもなりたくありません。タコでなくせっかく頭のある人間として生まれているので、岩場に張り付いて子供の卵の水を替えるためだけに死んでいくわけにはいきません。

  しかし、そんな自己犠牲(っぽい)姿を「母性だ!」と礼賛されるのはちょっと違うでしょう。あくまでも子孫繁栄のためのプログラムです。

  世の人が「母性」というロマンで美談を信じ、女の人の価値を下げます。子供を育てることが女の最大の美徳だと価値付けています。
  でも3人産んで思います。それだけのことのために女に命を使わせてはいけない。母性礼賛は「男のずるさと女の怠け」の結果であって、現代はもっとハイブリットな男女がどんどん出てきて欲しいものだと思います。

  母として、生命のある自分の子供と、生命のない自分の会社を生んだ私は、今、自分で命が作れない会社のほうを大切にしようとしています。
  なぜなら私にとっては、会社より子供の方が断然強いからです。命が授けられている子供は、自分の意思で動けもします。しかし私の会社はまだ、自分では何も発想しない。つまり会社は私がいないと命がなく何もできないのです。

  自分の子などが可愛いのは当たり前。でも、ある人がペットに愛情注ぐように、私は会社に愛情を注いでいます。自分の夫でも子でもない会社の人や取引先の人たちに愛情を注ぐ方が、より「育てる」行為としては面白いと感じています。

   今それを一生懸命やっていて、夜帰って子供と話をしたりすると、本当に自分の子供はいいものです。しみじみと「好き」と感じホッとます。子育てなんて、それでいいんじゃないんでしょうかね。良い子も悪い子もいますけど、それでも、「あるがままで愛する」だけをモットーに、家庭での子育て出来る限り手を抜いている私です。
posted by Kuhcan at 23:01| 日記