2018年11月02日

女子大卒とおじさん

  年上のパリッとスーツの男性にかしこまって営業をされる、というのはいまだに居心地が悪いものです。

  忙しい中、メーカーさんなどがアポイントもなく勝手にやってきて営業される、のを私は時間泥棒と呼んでいます。
  そっけなくできるといいのですが、こちらも顧客商売で立場を変えれば私も同じ事をするため、そうもしにくい。しかも相手が立派ないで立ちをした年上男性なときは特に、「生意気なオンナだ」とか「だめなオンナだ」とか思われるんじゃないかと心配になってしまい、へんに気を遣って厄介な気持ちになります。

  私の家は祖母のアクが強かったせいか、父が気の強い女性のことをむしろ歓迎し、尊敬していました。「あの奥さんの所に行こう。勉強になるから。」とやり手の女社長のおうちに連れていかれた思い出は数しれません。女は大きくなったらああいう風に仕事をするのだなと思って育ちました。

  小学校も子供ですから、男女平等にのびのびとやっていました。が、中学に入って、二校合併になると様子が一変。「女のくせに偉そうに注意をする」「女のくせに給食のおかわりをする」「女のくせに男にいたずらを仕掛ける」と男子に取り囲まれて文句を言われるようになりました。イタズラには「女なんかにバカにされたら、あいつの立場がないやろ?考えてやれ」と凄まれたりしました。

  高校に入っても、重要な役職を決める時女子は手をあげさせてもらえず、世の中、女は能力が低いと思われているとはっきりと知りました。同じ試験を通過したのだからそんなのはおかしい、こんな学校で好きな人を見つけるのは絶対やめようと入学2日目で決意したのを覚えています。(その日は見るからに役に立ちそうな女子より、やる気も人望もなさそうな男子が 委員長に収まっていきました。)

  そんなフラストレーションの中、高校3年の時は女子クラス、大学も女子大に入ることになりました。男子をむやみに立てる状況から一転して、しっかりした女子にニコニコ微笑まれながら盛り立ててもらえる、という快適な環境になりました。
  女子は毎日優しいし、頑張れば褒めてくれるし、本音で付き合えば付き合うほど絆が深まるしで最高でした。 

  大学時代は「なぜ、そんなに根拠もなく自信を持ってるの⁈!」と、学友に呆れられました。ただ女だと言う理由で頭を押さえつけられていた私は、自信があったのではなくて、単に女だけの世界に開放感があったんだと思います。ほんとうにのびのびとおおらかにやっていました。男子の友達はと言えば、京大のインテリでしたので完全にモノがわかっていて、中性的で付き合いやすく、能力を認めて伸ばしてくれました。その頃知り合った夫も、がっちり男女平等派でした。

  それが、男女共存の社会に出て会社員を始めた途端、またしても「女のくせに」と言われる立場が戻ってきました。女の園という竜宮城にいた私には大変辛かった現実復帰でした。自分と言うアイデンティティーに、無駄に「女」を加えないといけないので扱われ方が難しく、めんどくさくて仕方がありません。高校生の時よりは多少大人になっていたので、諦めるしかないと腹をくくり、結局今までやっています。

   今年の4月ごろ、政治家への不信感を払拭するためにセクハラ騒動ばかりがムダに取り出さされていましたが、今さら男性陣から「セクハラになっちゃうなぁ」と遠慮されても、鼻白んでしまうほど、女性への世間の蔑視は根深いと思っています。男性からだけでなく、女性が自分自身へ向ける女性蔑視も含まれています。女性の社会進出などどこ吹く風、いまだに女は家庭と子どもの調子のいい召使いという感覚の男女は私の周りに多いです。

  かといって、女でも馬鹿にしたいようなずるい女はたくさんいるし、男でも本当に誠実で甲斐甲斐しい方はもちろんおられます。
  だからもう、出産や身体機能的な事だけは別ですが、考えや生産性については、男だから女だからなどと言う話をしたくないなぁと思っています。

  それでも冒頭の通り、自分らしさを出そうとするといらぬ心配が頭をもたげて、貴重な時間を気まずい相づちで過ごすことになります。

  早く世間は、女の気の強いのに慣れて、家事をしないのにも慣れて、仕事をすることにも、1人を楽しむことにも慣れてください。女が誰かの世話をするために生まれたのではないことを諦めてください。(女はただ共感力が高めだから世話ができるだけです。)化粧だって自分の美学と個性のためにしてほしい。

  ただ私に限って言えば、この一連の発言でもわかるように、とかく傲慢になりがちな元のキャラクターが、女性蔑視で足を引っ張られてちょうどまろやかになっていると言うことが、意外とちょうどいいんではないかと思うことがあります。子供を産んで、自分の人生が自分の思うようにならないことも非常に人生の糧になりました。だから私が女だったのは、人間として、非常によかったです。人間こうやってどこかにストレスがあると、より謙虚で人を思いやるれるようになる気がしています。
posted by Kuhcan at 23:23| 日記