2018年08月28日

山を登ることについて

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毎年夏になると、どうしても新聞が戦争のことになるため、暗いことを考えがちです。

 5年前は、猟奇殺人犯
 4年前は、シベリア抑留とアウシュビッツ
3年前は、パリ侵略の歴史
2年前は、日本赤軍
1年前は、解剖医学の歴史
今年は、山で死ぬ人について
考えています。

  毎夏、これでもかというくらい夜暗い気持ちになってしまうのは何故なのか?
  お盆だから?
  夏の暑いのが結構好きなので、所詮元気があるから?
  理由はわかりませんが、何しろ死や欲について深く考え込んでいます。

  しかし、「死」というキーワードにまつわるいろいろな事実は、その後の1年、とても役に立ちます。

  医学を発展させた科学者の苦労への尊敬は、会社経営のための道しるべになりました。
  山岳ゲート事件の集団リンチは、トップが悪いことを思い込む怖さを教えてくれます。
  パリの驕慢とそれをなおも超える美的センスに、デザインへの希望を見出し、
  シベリアでなお生き抜いた人への敬愛とアウシュビッツの絶対的サディズム
  連続殺人犯とそうでない私たちとの、埋めようのない溝への恐怖。

  命を落としてまでも山を登攀した人々からは、人が自身で止められないストイシズムと達成願望を学びました。

  死ぬことを考えると、
吉田良子という人間が、世界比較でどれくらいの欲望の位置にいるのか?がわりと見えてきます。

  尊敬している人にもなれず、軽蔑すべき人にもならない自分の向かう方向。

  生きられる命の時間を計算しながら、自分のレベルと付き合いながら、今後の自分の行程を考えております。
posted by Kuhcan at 20:22| 日記