2018年06月22日

おじいちゃん94歳

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PTAのために珍しく、16:30に家に帰りました。そしたら、電動自転車で私の祖父がやってきて
「ジャガイモようけ取れたで」。と一箱置いていきました。

  うちの祖父は地味な人で、サラリーマンを定年まで勤め上げ、その傍ら、私の父母が家具屋で休みがなかったためずっと孫を預かってくれていました。
  近所の川の増水量を計測するボランティアを50年以上休まず、あさ5:00と18:00に行い紫綬褒章をいただいた人でもあります。

 私はおじいちゃんちに 夜8時過ぎまでずっといて、ご飯も一緒なので、「お母さん」というのはたまに会う若い人で、「おばあちゃん」こそがお母さんでした。

  でもおじいちゃんは、亭主関白で雷を落とす人だったのでわたしは大嫌い。理知的で優しい素朴なおばあちゃんの記憶しかありません。

  ところがここに来て、おじいちゃんの存在感がなかなかです。90歳を過ぎて、野菜どころか米30kgを配達してくれる。ボケるどころか筋肉がしっかり残っているのですが、性格がシンプルなので、畑以外はずっと家でゴロ寝。

 これでなぜ、ボケないのでしょうか。
いい意味で自我が無いからなのでしょうか。

  わたしが、自我を表現せずにいられないのに対し、おじいちゃんはなんの奇も衒いもなく淡々と寿命を生きています。コーラが大好きで、出すと「こらぁ、ええなハート️」と飲み干します。

 これはそういう人が育てたジャガイモ。おめでたいのでみんなに配ろう。

posted by Kuhcan at 13:51| 日記