2019年06月02日

世間の裁断は神の裁断


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 今日、私とは若干外れたところで、あることがあったので、しみじみと考えています。

  そこで、松下幸之助のこの言葉を思い出しました。

「世間の裁断(決定)は神の裁断」


。。。。。。

  世間とは鏡のごときものである、

いいかえれば神のごときものであり、

その裁断は神の裁断であると思うんであります。

  そうでありますから、もし自分が誤ったことをしなかったら、必ず世間はこれを認めてくれるにちがいない。


  実際は、自分がいくら誤りのない正しいことをやっても、世間に見る目がなかったらあきませんわ。しかし一人一人ピックアップすると、見る目がない、あてにならんという人もありますけれども、広い世間をおしなべて考えてみますと、世間は神のごとき裁断を常に下している。何が正しいかということに答えているんです。

 

 もし自分のすることに誤りがなければ、必ず世間はこれを受け入れてくれるにちがいない。“私”の心なくして、これは社会のためになり、事業としてやらんならんことである、と思って進めるものは、必ず認めてくださるのが世間であります。だから心配ない。世間は暴君ではない。世間は非常に賢明である。だからやってよろしいというように、自分に安心感ができるんであります。それで私はどんどん仕事をやってきたんです。

『松下幸之助発言集11』(1962)

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  この子たちの親は全然性格が違っていて、物事1つを捉えるにも少しずつずれていくのですが、全員揃うと、そのズレが結果的に円を描いて行き、そこに包容力が生まれます。
  私は、この自分の予想のつかないズレた線が結果的に○を作る事に、いつも感心し、今日も感心しました。
  
  この危ういバランスで○を描ける奇跡の関係(いつまで続くのかは分かりませんが)、すごい経験だなと思っています。

  自分が正しいと思うやり方だけで世界は回りません。それでも結果的にうまくいったときに、このメンバーの絶妙さと幸之助の言葉がいつも心に起こってきて、世の中に対する信頼と愛情、そして小さな自分への戒めを、私に教えてくれます。
posted by Kuhcan at 01:31| 日記