最近ですねぇ。
(これは経営の話です)
社長として勉強すればするほど、
「自社だけの利益を追求すること」
をノウハウとして教えるコンサルや社長陣に嫌気がさしてきました。
代わりに
「人の幸福の最大化」
にコミットできてれば、
人口減少、地球温暖化の世でも、自然に会社は残る気がします。
特に今の時代、お金を追いかけることを本当に無意味に感じています。
経済界の理屈(必勝法)は
「利益の最大化」です。
今、力のある大手企業が、戦争という危ない世の中での生き残りを賭け、こぞって収益を向上させたため、このインフレが起きています。
出遅れたものや、生き残ろうとしなかった企業や個人は、金欠になり・仕事が減り・人が減り・苦しんでいます。
ですが、他人の幸福を考えていると、この欠落の状態さえも、「まぁ誰かには皺寄せが行くんだから、自分が引き受けてるだけか」と痛み分けの気になります。
「いやそれではいかん!
社長たるモノ確固たる計画と執念で、流れに竿出して自分は勝て!」
と優秀な社長たちから檄が(笑)飛んでくるのですが、
私の執念は、
「六方よし」なので、自分だけが勝つことはありえないと思います。
「みんなで、少しづつ担い、少しづつ苦しみ、少しづつ得る。」
そうすると、負担が少しな割には、みんなが円満に過ごすことができます。
私はなんか結局、こういうことが1番良いのじゃないかと言う気がします。
(ロシアは、分かち合う理念を踏みにじっているから悪い。)
これで成功例はあるかと探してみると、日本の縄文時代です。
世界的に見て、1万年も続いたのは、日本の縄文時代だけです。
自然の森の恵みに頼っていたら、工夫や進化をする必要がそこまでなかったのだそうです。
喧嘩も圧倒的に少なく、争いや暴力で死んだ骨がほとんど出ないことも評価されています。
縄文スタイルが終わったのは、朝鮮半島から圧政を逃げてきた移民が、「開墾」を始めたからだといいます。
そう考えると、縄文風の、自然と馴染んだ小さな経済は、今のグローバル社会に大きな学びを与えてくれます。
現代の企業経営で具体的に言うと、
「父ちゃん母ちゃんの店」が、
サスティナブルだと言うことです。
「会社」と言う制度で、生産活動と家庭を切り離してしまったので、いろんな弊害が出ました。
会社員は、朝出たきり、家庭に帰れず働きます。
子供の面倒を見る人(今までは主に女性)は、家庭に閉じ込められ、経済活動との縁が切れます。
それがイヤで経済活動に参加したら、子供を見守る人がいなくなりました。
子どもは、子供時代の持て余す自由な時間を、外に出られず預け先のルール下で暮らすか、ゲームというバーチャルなものに費やし、
60歳になると、生産性が低いとみなされ何の仕事もしなくなるか、人からも期待を与えられなくなりお一人様化します。
。。。
最近、「子供が要らない」「夫がいらない」「妻もいらない」「親もいらない」「老人も要らない」と思ってしまうという風潮ができたのは、
意外と「会社」が人と「家庭」を分断した結果じゃないかと思うのです。
だから、私は、自分で会社を作って、仕事で家族が離れないようにしてきました。(とはいえ家に殆ど帰れませんでしたので…じいちゃんばあちゃんを最大限に活用して子守をしてもらいました。)
すると私の会社がどうなったかと言うと、
・近所の子供と遊んでいるうちにその親が入社したり、
・近所の家を工事しているうちに地域のシルバーボランティアと仲良くなり、街の活動を始めたり、
・古い家を治しているうちに全国の大工さん達と知り合い、仕事への情熱を高めあったり、
と、
人を人として捉え、
客だ業者だ企業だ個人だ、というバリアのない、まさに血の通った会社ができつつあります。
長くなりましたが、今日は高井会計さんで、80年前のドラッカーが、晩年は非営利団体について考えていたんだとの話を聞いて、非常に感銘を受けたので、改めて自分のスタンスを書いてみました。
私のやっている事は、非営利ではありません。でも会社にお金があれば成功だとも思いません。できる限りの利益を、材料やデザインや人に割いて、建物も人も健全に立っているのが一番の成功です。
これからも、父ちゃん母ちゃんの店の代表として、みんなの幸せを願いやっていきたいと思います。
そして、本当に、育てた子供たち(他人の)が、うちの会社を好きになって入社してくれるといいな。と思います。
…昔はこういうこと(親の仕事を子が真似ること)を、小さく育てる事だと思っていましたが、最近は、ちょっと意見が変わってきました。
つまり人は、お互い円満に過ごしていたら、自然と一緒にいるものなんですね。
タイトルにある通り、何千年たっても孔子が言ったことが皆に当てはまるように、今日話した私の考えが、真理だったらいいなと願う夜です。
posted by Kuhcan at 03:40|
日記